英語のことわざに 「If all you have is a hammer, Everything looks like a nail」 という言葉があります。日本語にすれば、「ハンマーしか持っていなければすべてが釘のように見える」 となりますが、これは限られた手段しか持たない、あるいは、固定概念や過去の成功体験から限られた手段に固執することで、問題の本質を正しく捉えられなくなることへの戒めといえます。

このことわざの基になったと言われているのが、アメリカの心理学者、アブラハム・ハロルド・マズロー (Abraham Harold Maslow) 氏の 1962年の著書 「The Psychology of Science (洋書)」 における I suppose it is tempting, if the only tool you have is a hammer, to treat everything as if it were a nail. という一節だとされていますが、氏も同様の文脈でこれを書いています。

社会心理学に 「確証バイアス (Wikipedia では 自己の先入観に基づいて他者・対象を観察し、自論に合う情報を選別し受容して、それにより自信を深め、自己の先入観が補強される現象 と説明されています)」 といわれる現象がありますが、そのような状況に陥ってしまうと、手段が目的化され、結論ありきの行動が引き起こされることになります。ことわざが示すとおりと言えるでしょう。

なぜこのような話を始めたのかと言いますと、ある手段に固執してしまうことによって、問題の本質を見失ったり、本来するべきでない事をする、あるいはするべき事ができなくなるという現象が、Web サイトの制作や運営、その改善プロセスにおいても起こることが珍しくないからです。

例えば、Web サイトの改善プロセスの中で、A/B テストやアクセス解析データを基にしたデザイン、UI (ユーザインタフェース) の改善を行うことは珍しくないですし、特にデータを重視したデザイン改善プロセスというのは、近年重要視されています。

もちろん、A/B テストやデータを基にすること自体に問題はありませんし、うまく活用すればよい結果をもたらすものですが、データのみに目が行きすぎるのは危険と言わざるを得ません。

少し極端な例ではありますが、ブログなどに設置するクリック課金広告があります。Google の AdSense が特に有名ですが、広告のクリック率だけを見れば、大きめのサイズのレクタングル広告 (正方形、もしくは正方形に近い長方形の広告) を記事の文中に差し込むことで、サイドメニューや記事本文の最後に掲載するよりも高い数値を得られる場合が多いです。

クリック率が高い、つまり 「データ上では正しい」 この本文内に差し込まれる広告ですが、記事を読んでいるユーザー目線ではどうでしょう? 本文を読んでいるときに広告が表示される、特にスマートフォンなど小さい画面で読んでいるときは、本文の途中にほぼ画面いっぱいの広告が出現します。さらにタッチ操作の場合はスクロールしようとして誤って広告をクリックしてしまうようなことも起こるかもしれません。

もちろん、記事の内容が優れていれば、多くの方は多少不便に感じつつも記事を最後まで読んでくれるかもしれません。しかし、Web サイト全体のブランディング、あるいはユーザー体験という観点からは、マイナスのイメージを与えてしまう可能性も否めません。

これは広告以外の UI でも同様で、例えば、PV(ページビュー)を KPI(Key Performance Indicator)にしたことで、無駄なページ分割でユーザーに多くのクリックを要求するなど、「PV を増加させる」ということが目的化することで、ユーザーの利便性が蔑ろにされるような本末転倒な事態を招くこともよくあります。

また、Web サイトの構築プロセスにおいても、特定の CMS (コンテンツ・マネジメント・システム) を使うことにこだわるあまり、他によりよい手段があるにも関わらずそれに気がつかなかったり、社内の部署間の都合や業務プロセスにこだわりすぎたことで、Web サイトのユーザーにとっては必要な情報が掲載されている場所がわかりにくいなど、使いづらい印象を与えてしまう要因になったりしますし、問い合わせや注文方法が煩雑になってコンバージョンが低下するといったケースもあります。

あるいは数年前のブログブーム時には、「社長ブログを立ち上げること」 が目的化することで、結局何の目的で活かすのかがわからないまま多くの社長ブログがフェードアウトしていったり、アクセスもほとんどないまま放置されたりといったこともありました。

データや過去の実績・経験はもちろん重要なことですが、それらをより効果的に活かすためにも、常に本来の目的は何なのか、目指すべきゴールはどこなのか、この目的を達成するために別の手段やアプローチはないのかと考えられる広い視野と、多くの選択肢を持つことが重要と言えるでしょう。