先日、医療・ヘルスケア関係の情報を提供していた、所謂キュレーションメディアが、その記事の内容や運営方針から大きな批判を集め、一時閉鎖されるという騒動になりました。
このコラムは特定のWebサイトや企業・団体を批評することが目的ではありませんので具体的な名称を挙げることは避けますが、今回の件は、問題になったWebサイト固有の問題ではなく、「キュレーション」という言葉が流行しだしたころから盛んにいわれてきた懸念点が、該当サイトが人の健康や命に関わる可能性の高い医療系の情報を扱っていたことでより問題視され、社会的な注目を集めた結果であり、該当サイトが閉鎖されれば解決するという単純な構図ではないことには留意する必要があります。
キュレーションに期待されることと現実
「キュレーション」とは『インターネット上の情報を収集しまとめること、またはその収集した情報を分類、再構成して新しい価値を加えて共有すること』ですが、IT用語としても使われる「キュレーター(Curator)」が本来、博物館や美術館などで収集する資料の鑑定や研究を行い、その専門的な知識を用いて管理や展示の企画などを行う専門職(日本では「学芸員」に該当する職)を指すことからもわかるように、単に情報を収集するだけでなく、キュレーターの専門的な知識を活かして情報を精査、分類し、わかりやすく注釈を加えたり、独自の研究に基づく見解を付け加えたりして再構成し、単なる情報の羅列ではなく、それを読んだ人が、紹介された記事単体だけでは得られなかった知見を得るなど、新たな価値を生み出すことが期待されているのではないかと思います。
ところが、実際のキュレーションメディアと呼ばれるものの多くは、インターネット上で検索して見つけた記事をただコピー&ペーストして羅列し、その情報の正確さや新たに生み出す価値よりも、Google等の検索結果で上位に表示されるか、PV(ページビュー)をどれだけ稼ぐか、それによって広告費を最大化することにのみ注目し、情報量だけは多いが低品質な記事を量産するだけの、もはや「メディア」と呼ぶことが憚られるような存在でしかないというのが残念なところです。
さらに、初期のキュレーションメディアは「引用」という形式をとって元の記事を紹介するものが多く、引用の定義からすれば問題点も多かったものの、引用元への流入などで多少は引用される側にも利点はありました。
しかし、近年のキュレーションメディアにおいては、インターネット上で見つけた記事を一部改編しながらつなぎ合わせることで、あたかも自分たちが独自に生み出した記事であるかのように装って大量の記事を生成し、それによってGoogle等の検索結果上位を独占するという行為が当たり前に行われるようになっていました。
これは情報としての質が低いという問題だけではなく、明らかな著作権の侵害であり、当然法的にも、さらに企業が運営するメディアにおいては企業コンプライアンスの点からも決して許される行為ではありません。
また、このような行為を陰で支えているのが、人工知能技術の発達などによる技術革新によって飛躍的に性能が向上した、自然な文章を機械的に生成できるソフトウェアであったり、人の働き方を変えると期待されたクラウドソーシングであったりする点は皮肉としか言いようがありません。
これらの問題は今に始まったことではなく、以前から主に私たちのようなインターネット、Webに携わる人たちの間では問題視されていたことです。しかし、なかなかそれを阻止する手段も、解決する方策も見当たらないまま、手をこまねいているしかありませんでした。
今回の騒動をきっかけに、キュレーションメディアが本来求められている役割をもう一度見つめ直し、その役割を果たすよい方向に舵を切って健全化していくことに期待せざるを得ません。
経済合理性だけを追い求める弊害
企業もボランティアでメディアを運営しているわけではありませんので当然ながら利益を出さなければなりません。ですからPVや広告の売り上げを追い求めること自体が悪いこととは思いません。
実際にWebサイトの評価軸としては「PV」が今でも最もわかりやすいデータですし、クリック課金型の広告はPVが広告収入に直結するため、とにかくこの数値を上げようと考えがちです。
これが行きすぎれば、記事の内容や法令遵守よりも、「よく検索されるキーワードで上位に表示させるにはどういう内容が入っていればよいか」「いかにセンセーショナルな見出しを付けて注意を引くか」「いかに早く、大量の記事を作って公開するか」などが優先されることになり、メディアとしての信頼性や質は著しく低下することになります。
今回問題になったキュレーションメディアに至っては、他者の著作物を意図的に盗用する行為が当たり前のように行われており、そこにはもはや企業倫理のかけらも見当たりません。
しかし一方で、「短時間で」「なるべくコストをかけず」、記事を量産してPVを稼ぎ、より多くの広告収入を得られるのであれば、投資対効果(ROI)としては「正しい」という判断になってしまうのも現実です。
経済合理性だけを追い求めれば、記事の内容を精査し、質を上げることに時間とコストをかけるより、検索エンジンのアルゴリズムを欺くこと、読んだ人に間違った情報を与えようが、とにかく話題になって被リンクとPVを集めること、それを極力低コストで行うことに注力する方が利益が大きくなるため、自然とインセンティブがそちらに向かってしまうという点が、キュレーションメディアを筆頭に、Webメディア全体が抱える大きな問題点と言えます。
ところで、経済合理性だけを考えるなら、キュレーションメディアだけではなく、新聞社などが運営するニュースサイト、さらにいえばWebだけでなく、視聴率といういわばPVに近いような評価軸で動いているテレビなどもそういう方向に行ってしまっても不思議ではないのでは? と思いますが、幸いなことに多くのメディアが「ある一定のライン」を超えず、健全なラインで踏みとどまっているのは、企業倫理やそこで働く人たちの職業倫理が機能してるからです。
とはいえそれは非常に脆いものかもしれません。昔のことわざでも「貧すれば鈍する」などと言いますが、1本の記事に時間とコストをかけ、健全なメディア運営をしていても儲からない、報われないとなれば、もっと楽に稼げる手法の誘惑に負けてしまう可能性も考えられます。
低品質なコンテンツの大量生成問題は今に始まったことではない
今回日本でこの問題が話題になりましたが、実はすでに今から5年程さかのぼった2011年の時点で、米国ではこの手の低品質、あるいは内容の薄いコンテンツを大量に生成することで検索順位上位を独占し、アクセスを集めて広告収入を得ようとするサイトが問題になり、「コンテンツファーム(Content Farm)」などと呼ばれて、Googleも対策に乗り出していました。
同様の手法が数年後に日本に渡ってきたという流れですが、これだけの時間が経ってもなお、検索順位を上げることに特化した仕組みの上で行われる(検索する利用者の役に立つという視点ではなく、とにかく検索順位で上位に表示されることだけが目的という意味で)低品質なコンテンツの大量生成に対して、Google等検索エンジンは脆弱だということが浮き彫りになりました。
長期的に見れば正直者が得をする
これはそうあって欲しいという希望もありつつ、確信を持って言えることなのですが、メディア運営をはじめ、Webにおける情報発信においては、短期の経済合理性を追い求めるのではなく、長期的な視点で情報の質を高め、利用者にとっての最善を提供することに時間とコストをかけることが、最終的な利益を最大化すると思ってます。
なりふり構わず短期間で稼いで、批判されたり、騒ぎになったら逃げるというのを繰り返せばお金の面では多少満足できる結果を得られるのかもしれませんが、そのような方法で信頼を得ることはできません。最終的に大きな利益を生むのは、お金では買えない「信頼」だと考えます。Webの世界でも「誰がそれを言ったか」というのは重要であり、その信頼を得るには時間がかかります。
現時点ではGoogle等、検索エンジンのアルゴリズムが、情報の真偽を正しく判断したり、本当に役に立つ情報とそうでないものを正確に選別できるまでの完成度には至っていないことから、問題のある情報が検索アルゴリズムをハックして多くの人に届いてしまう問題が発生しています。
また、その結果として消費者が自分の身を守るために、「メディアリテラシー」という、情報を主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜いてフィルタリングする、ある意味で特殊な能力を"過度に"求められてしまうというというのも、よく考えればおかしな状況です。本来発信者側にも、少なくとも誤った情報、人を欺くような情報を事前に排除するといったコンテンツの品質管理に関する、最低限の責任は求められるべきものです。社会的責任のある企業が運営するWebサイトにおいてはなおさらです。
世界でも最高クラスの優秀な頭脳と、並外れた資金力をもつGoogleといえども、今だアルゴリズムの隙を突いてくるこの手の悪質なメディアを完全に排除することができないということに、この問題の解決が一筋縄ではいかないことを感じさせられますが、それでも技術は日々進歩しています。
数年後には人間が判断するように、情報の真偽を適切に処理し、検索ユーザーにとって最も有益で、信頼できる情報を検索結果に表示することができるようになっているかもしれませんし、その可能性は高いでしょう。
その時に、質の高い情報を提供できる編集体制、企業体質を持っていないメディアは、自然と淘汰されていくと思いますし、一方で長期にわたって信頼を得ることに成功したメディアは、より一層のユーザーとそれに伴う利益を獲得することができるようになるでしょう。
そのためにも、安易な利益追求に走らず、長期的な視点で信頼を得るためのメディア運営を、信じて積み重ねていくしかないと思います。我々、Webに関わる人間として、長期的にWebを良くしていくことに多少なりとも貢献できるような情報発信の仕方というのを心がけたいものです。